香港競馬の歴史
1845 | 香港で初めて競馬が行われる。 |
1846 | ハッピーバレーで競馬開催(記録上最古)、初期は旧正月の1年1開催だけ。 |
1873 | 香港で初めてダービーが行われる。 |
1884 | 香港ジョッキークラブ設立。当初は競馬の管理・運営のみで馬券発売は民間業者が行う。 |
1892 | メンバーズスタンド改修。 |
1918 | 一般スタンドが崩壊し火災が発生、600人以上の観客が死亡する惨事。 |
1931 | 三階建ての最初のスタンドが完成。 |
1942 | 日本軍の支配下となり香港占領地總督部管理のもとで4月25日にレースが再開される(~1946)。隔週の土曜もしくは日曜に10レース程度行われ、イギリス式の「女王杯」などのレースは廃止され、夏季も休まず通年開催となった。イギリスが統治していた時に比べ安く庶民の手にも届く娯楽になった。 |
1957 | 従来のスタンドを改築し、二つの七階建てスタンドが完成。 |
1960 | 英国のエリザベス女王の認可を受け、ロイヤル香港ジョッキークラブへ名称を改める。 |
1969 | 再度スタンドを増築し、現在では5万5千人の観客を収容することが可能となった。 |
1971 | アマチュア騎手制を改め、騎手のプロ化を図る。 |
1973 | ナイター競馬が開始される。 |
1974 | 政府が非合法のノミ行為を防ぐためジョッキークラブに場外馬券発売所(OCB)を設置を許可する。最初に6ヶ所設けられ、電話投票制度も2000の口座でスタートする。現在は125ヶ所の場外馬券発売所(OCB)が設置され、電話投票も73万9千口座が開かれ、それぞれのレースで500万枚以上の馬券が発売されている。 |
1975 | エリザベス女王がハッピーバレー競馬場を訪れる。 |
1978 | 新界地区に沙田(シャティン)競馬場が完成する。約8万人の観客を収容できる大規模なもので、世界でもトップレベルに入る競馬場である。 |
1981 | 電話投票のコンピュータ化が完了する。また場外馬券発売所(OCB)も1983年に完全にコンピュータ化される。 |
1986 | エリザベス女王が沙田競馬場を訪れる。 |
1988 | 香港で最初の国際的なレースである香港招待カップ(Hong Kong Invitation Cup)が1月24日沙田競馬場で行われる。第1回はマレーシアとシンガポールから各6頭が招待しレースが開催された。現在は香港カップ、香港マイル、香港ヴァーズ、香港スプリントの4つの国際G1レースが行われ、毎年12月に開催し、招待地区も拡大されヨーロッパ 、北アメリカ、オーストラリア、ニュージーランド、アラブ首長国連邦、シンガポールと日本となっている。
携帯端末(Customer Input Terminal)の試用がテストユーザー200人によって行わる。現在では約8万人の顧客がいる。 |
1995 | ハッピーバレー競馬場の走路改修工事が完成する。芝コースと全天候型コースの2本から芝コース1本になる。 |
1996 | 翌年7月に控えた中国への返還に備え、英皇御准香港賽馬會(Royal Hong Kong Jockey Club)から香港賽馬會(The Hong Kong Jockey Club) へ名称を改める。 |
1996 | ハッピーバレー競馬場に香港賽馬博物館がオープン。 |
1998 | 沙田競馬場開設20周年の一環で会員席スタンドを改修。 |
2002 | インターネットを利用した投票システム(eWin)が正式に運用開始される。 |
2004 | 沙田競馬場のパドックのリニューアル工事が完成。巨大な屋根を設置し全天候型パドックになる。 |